日本とスペインの国交は約400年です。
日本とスペインの一番最初の接点は、1549年にフランシスコ・ハビエルが鹿児島へ上陸した時でした。その後、1609年9月、当時スペイン領だった中米メキシコを目指して、フィリピン諸島長官ドン・ロドリゴ総督率いるサンフランシスコ号が太平洋ルートを進んでいた際に、暴風雨に巻き込まれて難破、千葉県御宿海岸沖に座礁するという事故に見舞われますが、地元の人たちの救助と看護により300人以上もの乗り込み員の命が助かるのです。
その時一行は,駿府の徳川家康公と面会し,その後の航行のための船の貸与など,手厚い待遇を受けました。その返礼として,スペイン国王フェリペ3世は,当時国王からの敬意を示す最高の贈り物であった機械式時計を贈呈しました。その時計が現在,国指定重要文化財として「家康公の時計」は,静岡県久能山東照宮博物館に保管されています。

(写真:外務省 わかる!国際情勢)
日本からスペインへ慶長18(1613)年秋、牡鹿半島の月浦(宮城県石巻市)から1隻の洋式帆船が船出しました。仙台藩主・伊達政宗の家臣支倉常長が乗るサン・ファン・バウティスタ号です。政宗の命を受けた常長は、交易を求めて太平洋と大西洋を横断。スペイン国王と面会し、7年後に帰国しました。

支倉常長らは、スペイン南西セビリアのコリア・デル・リオに長期滞在したと言われています。往路だけでなく復路では約9カ月、この地に留まりました。そして、現在、この地域には「ハポン(JAPON)」の名字を名乗るスペイン人が600名いるというのです。ハポンとは日本と意味のスペイン語です。彼らは「自分たちは誇り高きサムライの末裔である」と語り、1992年には同地に仙台市から支倉の銅像も贈呈されました。

(写真:フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』)
記録がないために本当に彼らが仙台藩のサムライの末裔であるかどうかは確認されていません。それでも、「勤勉で優秀な日本人の血が流れている」と信じてハポン姓に誇りを感じてくれていることは、日本人としては嬉しい限りですね。
しかし、その後江戸幕府はキリスト教の禁教政策を強化し、1624年(寛永元年)にはスペイン船の来航を禁止いたしました。その後、1868年(明治元年)日本とスペインの間で日西修好通商航海条約が締結され再び国交が樹立されました。
個人的な感覚ですが、日本人とスペイン人って食文化が似てるように感じます。今では、世界中どこでもお米や魚を食べるようになってますが、日本とスペインは昔より食べられてます。何よりスペインでは何を食べても美味しく感じるのは、日本人の味覚に合う証拠です。